ぐうたら冒険者言行録
Final Fantasy XI のBismarck鯖で今日もまったり過ごす微妙なナイトの日々をつづります。
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TT(追記)
http://www.yomiuri.co.jp/nyushi/center/06/1/exam/111/1.htm
 今年からだっけ、導入されたセンター試験の英語リスニング問題でございます。そんなに難しい問題ではないと思いますが、英語が聞き取れないって人には大きな壁となってたちはだかっていることでしょうねぇ……ちなみに浪人して二度目のセンター試験を受けた弟は随分腕を上げたようで、得点率八割、物理は100点だったようです。僕が三年前に受けたときは、物理は確か一問間違えて96点だったなぁ(・ω・) 得点率は85%ぐらいだっけ。数学と国語が難しめで、数学は吹っ飛んだものの、国語で(理系にしては)死ななかったので(どっちも 150ぐらい/200 だった気がする)、問題なく前期は第一志望に出願できたのですが、数学がだめだったので後期は諦めました。足切りにあう可能性が濃厚だったからです。そして二次試験は、試験後の予想に反して前期で受かってしまったのですが、既に合格していた滑り止めの私大でも、後期の大学でもなく、ここでよかったと今改めて思います。

http://www.town.yaotsu.gifu.jp/spot/sugihara/sugihara.html
 杉浦千畝(ちうね)という外交官をご存じでしょうか? 恥ずかしながら僕は昨日まで知りませんでした。昨日、彼に関する映画だかドラマだかの一部を見ました。早稲田大学と言いながらしっかりうちの大学(≠早稲田)の図書館が映っていたりする、在籍している者から見たらちょっと滑稽なシーンがありました。ってそんなことじゃなくて。サークルの定期演奏会の感動のフィナーレでも泣かなかった、いや、一滴の涙も出てこなかった、どちらかというと血の冷たい人間である僕が、不覚にも泣きました。千畝(とはユダヤ人たちは発音できなかったので「センポ」と呼んでいたそうです)がリトアニアから退去してベルリンに向かう列車に乗ってユダヤ人たちと別れるシーンなんてもう……で、彼が何をした人なのかというと。1940年、リトアニア領事館に領事代理として勤務していた際に、助けを求めて押し掛けてきたユダヤ人たちに独断で(日本政府はダメと言ったからです)日本を通過するためのビザを発給したのです。蛇足ですが、日本は今でもユダヤ人問題(てか迫害ですね)なるものと直接の関係がない、そういう意味では良い国だと思います。もっとも難民を受け入れないことこの上ないという世界的に見れば困った面もありますが……この独断により6,000人ものユダヤ人の命が助かったと言われています。この映画?の一部を見て、この間読んだ手塚治虫の「アドルフに告ぐ」という漫画を思い起こさずにはいられませんでした。平和な時代に生まれてしまった僕ですが、当時のユダヤ人迫害や虐殺がいかなるものであったかは、今の時代の人間なりには理解しているつもりです。ビザの発給を告げられたユダヤ人たちがいかに歓喜し、感激したか、そして上記のシーンで千畝もユダヤ人たちもいかに感極まってしまったことか、想像に難くないと思います。きちゃいましたね。

 日本人の善行としてこんなのもありました。トルコは地理的に日本と結構離れていますが世界で一番と言っていいほど親日的な国です。武力を行使できない日本を利用して得をしようという国ばかりのこの時代、日本はもっとトルコを大事にしなければいけません。こんなことをいうと、親日国家好きなガキみたいに思う人がいそうですが、それはある意味正しい。自分を愛する者を愛するなんてことは、どんな悪人でも、どんな人でなしでもしますからね。一方今の日本ができないのは、反日国家に敵対すること。敵対だって外交の手段の一つです。敵対することで仲良くなれる国もあるのですから(二十世紀初頭の日英同盟みたいにね)。全ての国と仲良くなれると思っているならそれは今のところ幻想です。日本の外交姿勢を見ると本当にそう思っているように思えてならないのですが。
 さて、なぜトルコは親日なのでしょうか? 一つには101年前に日露戦争で日本が勝ったからというのがあるでしょう。当時のトルコは国力の衰えが隠せなかったらしく(実際約20年後に滅びますよねぇ)ロシアにちくちくいじめられていたのでしょう。そんな大国にアジアの小さな国が勝った(勝つべくして勝った戦いじゃないですよね、本当に奇跡です)、実にトルコの人々は勇気づけられたのではないでしょうか。でもトルコの親日思想はもっと昔に生まれていたようです。1890年に、台風により座礁・沈没したトルコの軍艦の乗組員の生存者を、和歌山の村民(実に貧しい生活を送っていたようです)が献身的に助け、そして話を聞いた日本政府も可能な限りの援助を行い、金剛と比叡という二隻の軍艦(時代が昔なので、太平洋戦争で沈んだ同名の戦艦とは、少なくとも同型ではないでしょう、母体は同じかもしれないが)で、無事に生存者をトルコに送り返した、という事件があったのです。この日本の献身的な行いはトルコ国内で大きく報じられ、トルコ人の日本および日本人に対する好印象を決定づけるに充分だったのです。
 この話には続きがあり、95年後、1985年のイラン・イラク戦争中、フセインはイランの首都を空爆し、40時間後から飛び立つ飛行機は撃ち落とすと宣言したそうです。イランにいた日本人はテヘラン空港に集まったものの飛行機はどれも満席でパニックに陥ったそうです(そして当時も今も、政府の自国民救助が遅いのは変わりません)。そこへトルコ航空の飛行機が到着し、日本人を全員乗せて実にタイムリミットの75分前に成田に向けて飛び立ったそうです。なぜ、自国の政府すら助けに来なかった日本人たちを、イランには近いとは言えどもトルコの飛行機が助けに来たのでしょうか? 言うまでもなく、トルコの人々は95年も前の事件を忘れていなかったのです。日本が助けたトルコ人は69名、トルコが助けた日本人は216名、恩返しとして充分すぎるくらいです。日本人は、95年経っても覚えていてもらえるくらいよいことをしたのです。それを当の日本人が知らない(僕も二年弱前まで知りませんでしたよ)なんて、とても残念なことです。
 他にも、太平洋戦争直前頃? 沈没したイギリスの軍艦の乗組員を、日本の軍艦が助けた(敵ですよ!?)なんてこともあったそうです。戦前、戦中の日本がしたことは全てあの悲劇的な最期に突っ走るためのプロセスだった、あの戦争は「日本」だけが悪かったから(そんなことは絶対にないと思うのです)起こった、そのような教育がなされているおかげで、我々日本人は、戦前戦中の日本の、日本人の善行を知りません。果たしてこれで本当にいいのでしょうか。

※追記
 確かにひどい戦争はしたし、今の日本と比べれば民主的でもなかったものの、戦前の日本にもよいところはありました。遭難してロシアにたどり着いて暴行された一人の漁民を返せと、艦隊を派遣して脅した戦前の日本と、何十人もの人が、しかも国内で隣国に拉致されたのに二十年以上放置した今の日本。ダメとは言いながらも結局は千畝の独断もあって、ユダヤ人を逃がした太平洋戦争前の日本と、送還されれば確実に殺されるたった一人の避難民(そんな人が去年うちの寮に来ました!)をも受け入れない今の日本。台風が来るから行くなと言ったのに出航して沈んだ外国船の乗組員を助けた戦前の日本と、外国の戦乱に巻き込まれそうな日本人もなかなか助けない戦後の日本。我は国家だ、政府だと主張する資格があるのは果たしてどちらでしょうか。
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