ぐうたら冒険者言行録
Final Fantasy XI のBismarck鯖で今日もまったり過ごす微妙なナイトの日々をつづります。
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とてもマニアックでもちろんFFとは関係ない話
 20日にふと思い立って、出かけてきました。
この日を逃したら次いつ遊びに行けるのか分からないのです。
ってわけで東京駅へ向かいました。
東海道線や横須賀線で南関東への旅に出るのです(と言ってももちろん日帰り)。

 まずは一時間半ほど東海道線に揺られて小田原に着きました。
あ、長時間座れないのは嫌だし、何より朝食も食べたかったので グリーン車に乗りました。学生のくせにー^-^
車掌さんが最初「次は終点東京」などとアナウンスして驚きましたがね。
新米の車掌か? それとも僕と同じで眠かったのか?www
ちなみにこの電車の終点は小田原でしたが、東海道線はまだまだ熱海、静岡、浜松、名古屋、大垣、米原と続いて最終的には京都・大阪まで伸びていますよ(鉄道初心者向け説明)。
今では東海道線を東京から大阪まで利用する人なんて僕と同レベル以上の鉄道好きしかいないでしょうが、明治時代に開通した当時は、二週間移動かかっていた東京から大阪までの移動が一日で可能となった 偉大な交通機関だったのですよ(説明するまでもないとは思いますが、 当時の庶民は自動車など持てないし 旅客機なんかありません)。

ああ、後で気づいたのですが目的地が小田原なら新宿から小田急線か、池袋から湘南新宿ラインの方がよかったかもしれませんwww

小田原城

 さて、小田原での目的地はもちろん小田原城!
もうね、僕は日本であろうとイギリスであろうと、っていうかその二国でしか城に行ったことはないというかそもそも海外に行ったことが米英に一回ずつしかないのですが(そういえばアメリカという国に、城という名が付いている歴史的建造物はあるのだろうか)、城と名が付く場所にいるだけでわくわくしてたまらない性分なのですよ!
今建物として残っているのは実質門と写真の天守閣だけでそれ以外の場所は公園になっているのですが当時はさぞかし名城だったのでしょうねぇ。
ところで天守閣は武器や鎧などの展示場になっているのですが、そこで得た知識が一つ。

・ネットでよく見る「香具師」って言葉は「やし」と読むのかwww

ああ、もちろん僕はそんな言葉使いませんよ。
さて、小田原と言えば箱根と言えなくもないし、実際小田原城の天守閣のてっぺんから箱根山がよく見えたのですが箱根登山鉄道はどうも乗っていたら時間が危ないのでパス。
いずれ乗ってみたいですな。


 さて、次は東海道線に乗って大船(おおふな)まで引き返し、横須賀線で横須賀に向かいます。
しかし「横須賀」線なのに途中の逗子(ずし)駅が終点で横須賀まで行かない電車のなんと多いことか。
理由はどうも二つあって、後者の理由が大きいと思われます。

1.逗子駅以南の横須賀・久里浜までは、駅数は少ないが距離が長い
2.逗子駅より南に行くには15両編成の電車を切り離して11両にしなければならずJRにしてみれば手間

さて横須賀駅に降り立ったものの目的の場所までは歩くと遠いし、バスはどれに乗ればいいのか分からない!!!
(↑ 鉄道でなら徳島まででも行けるくせにバスには弱い)
しかたなくタクシーを利用、学生のくせにー^-^
というわけで十分弱、初乗り運賃のまま(意外と近かった)で 三笠公園に到着です。
え、三笠って何かって?
「三笠(みかさ)」というのはですね、102年前の1905年5月、日露戦争の終盤で行われた日本海海戦を大勝利に導いた日本海軍連合艦隊旗艦の戦艦です。
旗艦(きかん)というのは……明確な定義は辞書によると
(大体の意味は分かるけど、 人には説明できない言葉ってありますよね!)
「艦隊の司令長官・司令官の乗っている軍艦。マストに司令官の官階相当の旗を掲げる。」
だそうです。
軍隊のリーダーってなんだか後方でくすぶっていそうなイメージがありますが、東郷平八郎が座乗した三笠は違ったのです。
三笠は常に艦隊の先頭でロシアのバルチック艦隊と戦い38発ぐらいの砲弾を浴びています。
ただ、不発弾が多かったので、乗組員の戦死は8人で済んだようですが。

戦艦三笠

 その活躍ぶりも偉大なのですが、もう一つ偉大なのは中央の写真のように保存されていることです。
日本人に一番人気がある軍艦はもちろん戦艦大和でしょうが、今の人間が大和に乗れるかと言えば乗れませんよね、沖縄近海の底なのですから。
三笠は保存されている鋼鉄製の軍艦では世界最古クラス、そしてイギリスのヴィクトリー、アメリカのコンスティチューションと並ぶ世界三大記念艦の一つなのです。
とはいえこの船の価値はなかなか現在の一般日本人には分かってもらえません。
その話はまた後で。


なお三笠は日本海海戦の半年後に、弾薬庫の爆発事故を起こして一度沈没しています。
このとき339人の乗組員が殉職し(爆沈なので逃げる暇もなかったのでしょう)、これは日露戦争中に三笠艦上で「戦死」した人間(記憶が正しければ42人)の実に八倍にもなります。何という悲劇。
ただ船の方は、引き上げられて現役に復帰したし、現在はこうして横須賀の港に保存されております。
あ、三笠から横須賀駅の帰りは歩きました。
40分ぐらいかかったかなあ?


 それから横須賀線に乗って鎌倉に移動。
鎌倉はやっぱり鶴岡(つるがおか)八幡宮ですよね。
まあ、もちろん僕はお参りみたいなことはしませんでしたがやっぱり日本人、特に関東人なら一度行っておかないとね。

墓

 さて、本命の伝大江広元の墓(写真はそこにある石碑)に移動です。
手前に源頼朝の墓もあったのですが、頼朝好きくないし53段の石段(頼朝の没年齢と同じ、ちなみに死亡年月日は正治元年1月13日、太陽暦で1199年2月9日と多くの文献に書かれているが死因がはっきりしない。落馬、暗殺、溺死など、いずれにしても不名誉な死だったのではと推測される)なんて、歩き疲れていて上れませんよwww
まあ、伝大江(ry の方が石段多かったけd
大江広元とは源頼朝、源将軍家断絶後も北条氏と結んで幕政の基礎を固めた官人です。
戦国時代に、小領主の身から一代で大大名になり仰せた毛利元就の先祖とも言われています。
普通この時代の大名の「由緒ある家系」って話は怪しいのばかりなのですが、毛利家と武田家(清和源氏の源義光の子孫)は系図がしっかりしていて信頼できるとされています。

 さて、その彼の墓「とされる(ここが歴史の難しいところ)」ものには左右にも墓があって、左が広元の四男、毛利季光の墓、右が島津忠久という者の墓とされています。
両者は鎌倉幕府第五代執権北条時頼を中心とした北条氏と御家人の三浦氏とが戦った宝治合戦で三浦氏に味方し、三浦一族と共に自刃しています。
名前からぴんときた人もいると思いますが、毛利季光は毛利元就の先祖、島津忠久は、鎌倉時代から九州南部に勢力を築いた島津家の先祖とされています。
毛利家は元就が一代で中国地方に大勢力を築いたものの孫の輝元の代に、関ヶ原の戦い(を含む争い)にやぶれ領地は周防と長門(今の山口県)のみに減法されてしまいます。
また戦国時代には九州の大半を勢力下においた島津家も関ヶ原で西軍に(やむを得ず)味方してしまい領地こそ無事だったもののやはり屈辱ではあったでしょう。


 さて、徳川家康は両家を取りつぶすべきだったかもしれません。
なぜなら関ヶ原の戦いから約260年後に江戸幕府を倒したのは彼らの子孫の家来達(島津家は薩摩藩主、毛利家は長州藩主)だったのですからね。
幕府を倒す力を生んだ両家も、戦国時代末期、および鎌倉時代初期には負け組だったわけです(というか長州の方は、幕末にもボコボコにされてますよね)。
そう考えると歴史ってなんとも面白いとは思いませんか。
ともあれ毛利家と島津家の先祖が眠っているのかもしれない場所をあとにしたのでした。
あ、さすがに鎌倉駅への帰りはバスにしました。
もう歩けませんよぉ~。


それからまた横須賀線に乗ったのですが
「この時間(夕方)の上り線が混んだりしないだろう」
という甘すぎる予測は見事にはずれました。
行楽シーズンでしかも土曜日の夕方の上り線が混まないはずがないじゃないか!
大船からは一応東海道線に乗り換えてみましたがやっぱり混んでいたので急いでグリーン席の券を購入。
こなちゃん、じゃなかった、学生のくせにー^-^
しかし東海道線は難なく座れましたが、横浜から乗り換えた湘南新宿ラインはグリーン車ですら立っている人がいました。
あ、座れなくても切符はいるので、グリーン券を買う際には注意。


 睡眠不足、歩き疲れということでさすがに湘南新宿ラインではうたた寝しましたが思ったよりも早く目的地に着いたので下車。
とある場所に急ぎます。
この日は僕が以前所属していたクラシックギターサークルの定期演奏会だったのですよ!


 そのあとうちらの学年が中心にOB・OGが10人あまり集まって一杯(と言わず何杯も)飲みに行きました。
飲まないのに飲み会はそんなに嫌いではないという珍しい人種が約一名。

 ここで横須賀で買ってきた三笠文鎮を見せびらかしたりしたのですが(やっぱり突っ込まれたけど、日帰りで小田原・横須賀・鎌倉って我ながらハードですよね)前述の通り、三笠にどのような価値があるかなんて普通の若者には分かりませんよね。
ってか三笠が何かも分かりませんよね。

僕「三笠っていうのは、日露戦争の終盤で行われた日本海での海戦を大勝利に導いた偉大な戦艦なんだよ!」
『ふ、ふーん(明らかに「どこが偉大なのか」が伝わっていない)』
僕「(文鎮を指して)この三笠も当時の戦艦としては世界最大級だったらしいけど、大和はこの2,3倍あったらしいね、そりゃーでかいわと思った!(興奮気味に)」
『ヤマトって宇宙戦艦?』
僕「いや、海の戦艦の方だけど……」
『うん、絶対そっちだろうけど、あえて言ってみたw』

うむ、一般の若者の軍艦に対する知識なんてこんなもんですよね(T_T)
ってか、うちの祖父は今82歳なので、もちろん太平洋戦争のことは知っているのですが彼ほどの歳ですら「海軍兵学校の生徒だった」ってだけで戦場には行っていないわけでさ、まして祖母(74歳)なんて「東京は空襲されるので疎開してた」程度の年齢だったのですから(自分が小学生時代に社会のことをどれくらい理解していたか考えてみましょう)そりゃー日本人の戦争の記憶も風化するぜ、と思います(--;


 ああ、今日祖父に、横須賀に停泊していた海上自衛隊の護衛艦達の写真を見せたら
「やっぱり軍艦は煙突があるの(昔の物の方)がかっこいいな」
と言われました。まあ分かるような気もします。
ちなみに海上自衛隊の艦艇のことは僕は全く分かりません!


 こうして、楽しむために旅してきたとはいえハードな一日が終わったのでした。
めっちゃくちゃ疲れましたよwww
ああ、ちなみにもちろん南関東周遊は一人で行きましたよw
こんなノープランで無計画でむちゃくちゃで疲れて一般人が見ても楽しくない物ばかり見る旅についてこられる人なんかいるわけないじゃないですかwww
ああそうだ、できれば熱海にも行きたかった……
小田原で箱根登山鉄道に、鎌倉で江ノ電にも乗りたかった……
ってか、こんなマニアックな話に最後までついてきた人はいるのだろうか……
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